栗城史多 指再生[画像]せず企画でエベレスト挑戦も無念…イモトと来歴と登山実績はどっちが上?

無謀、「プロの下山家」と揶揄までされ、「単独」「無酸素」登山にこだわっていた異端児の登山家、栗城史多(くりきのぶかず)さん。21日、8度目のエベレスト登頂目指すも、ベースキャンプで亡くなっていたことがわかりました。享年35歳。また、今回のエベレスト登頂映像は企画で生配信する予定でした。

凍傷が原因で、右手親指以外の9本の指を切断した栗城史多(くりきのぶかず)さんの指再生は上手く行かなかったとされていますが、真相は…? 衝撃の当時の凍傷画像も紹介。

栗城史多の来歴、登山実績はイモトとどっちが上?
栗城史多は登山家ではない?批判される理由とは。
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無謀、「プロの下山家」と揶揄、「単独」「無酸素」異端児の登山家、栗城史多(くりきのぶかず)の来歴

登山家、栗城史多(くりきのぶかず)さんは、生前、批判が多かった登山家のようです。
そんな、無謀、「プロの下山家」と揶揄、「単独」「無酸素」異端児と呼ばれる、登山家 栗城史多(くりきのぶかず)の来歴とは。

栗城史多さんは1982年北海道生まれの35歳。(2018年5月)

■名前:栗城史多(くりきのぶかず)
■出身地:北海道瀬棚郡今金町
■生年月日:1982年6月9日生まれ
■身長:162cm
■高校:北海道檜山北高等学校
■大学:札幌国際大学 人文社会学部社会学科
■株式会社たお代表取締役(個人事務所)
(出典:wiki)

<栗城史多の主な経歴>
大学在学中の22歳:北米大陸最高峰のマッキンリーに単独登頂。
その後、世界6大陸の最高峰に単独登頂、8,000メートル級峰の4座を無酸素・単独登頂に成功
2012年に秋季エベレストの登山で両手、両足、鼻が重度の凍傷で手の9本の指を失う。

栗城史多(くりきのぶかず)、衝撃の当時の凍傷画像

当時の栗城史多さんの凍傷した指の画像です。
鼻の頭と足の指も凍傷したようで、このように黒くなるんですね。

のちに、指は切断、足の指と鼻の凍傷は治ったようですね。

指の凍傷切断理由が、「スマホをイジる為に指ぬきグローブで登頂目指して全指凍傷に」という噂も多いようです。

栗城史多、指再生の治療に専念するも指の再生はならず[画像]

栗城史多さんは、凍傷が原因で、右手親指以外の9本の指を第2関節より先から切断しました。

その指再生の治療に、努力されていたようですが、2017年のこちらの指の画像でも、指の再生はできていませんね。それら全ての治療はうまくいかなかったのではないでしょうか。

Kota yamaguchiさん(@kota4014)がシェアした投稿

ちなみに、知り合いのおじさまで仕事で親指を切ってしまった方がいるんですね。その方の現在の指はどうなっているかというと、、

やはり、栗城史多さんの指のように、切断された時よりは少し指の肉が盛り上がるようにはなり、少し指が伸びたようにはなりますが、「指再生」というのは難しいのが現実のようです。

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栗城史多 凍傷で指の切断理由はスマホをイジるため?企画に込める思いとは

栗城史多さんは、今回亡くなってしまったエベレスト登山のチャレンジも、登頂の様子を動画で配信する企画を予定していたといいます。

また、凍傷での指の切断理由も登山の様子を発信するのに、スマホをイジる必要があったため?と噂されていますが、真相はどうなのでしょうか。

栗城史多さんのかつてのインタビューによると
『指を失っても栗城史多が登山をネット中継する理由』
という回答で、

「成功だけじゃなくて、失敗や挫折をみんなで共有することで、ポジティブにチャレンジできるんじゃないか」と語ってくれた栗城さん。
(出典:http://www.j-wave.co.jp/blog/news/2016/11/post-2743.html)

と話されていたようです。

登山するには、どこかしらのスポンサーがつかないと成り立ちませんし、双方がWINWINの関係のためにも、無理をした結果が、指の凍傷。

そして、楽観的な性格でどこかで何とかなるだろう、
とか
目立ってこれも話題になるだろう、

という安易で企画的な考えから、

凍傷の指をすぐに手術せず、放置→結局切断

と言う結果になってしまったのかもしれません。

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登山家 栗城史多の来歴、登山実績はイモトとどっちが上?

登山家の栗城史多(くりきのぶかず)ですが、
今までの登山の失敗例が多いことが、

テレビ番組の企画で始まった
登山部で数々の山を制覇している、
芸人のイモトさんに、
すでに記録を抜かされているのでは?
といわれる所以ですね。

栗城史多さんの来歴、登山実績をご紹介します。

×26才 2008年10月 マナスル敗退(登頂を主張するも認定されず)
【検索: 日本山岳会 8000m峰登頂者リスト】
×27才 2009年秋 チョモランマ敗退(アックス持たずグレートクーロワールをどうやって登る気だったの?)

×27才 2010年春 アンナプルナ敗退(凍傷になったと大騒ぎして撤退。実は右手しもやけ、体力の限界)

[aside type=”normal”]!!この挑戦では栗城隊のシェルパが1人死亡!![/aside]

×28才 2010年秋 エベレスト敗退(酸素ガバガバ吸引してても無酸素?)
△28才 2011年冬 北海道氷壁初心者講習参加(ブログで「厳しい修行」と大見得。同行者のブログでバラされる)
△28才 2011年春 アラスカスキー滑降講習参加(ギックリ腰のはずが下山すると即回復)
×28才 2011年春 シシャパンマ敗退(2ヶ月経ってもブログ更新、総括無し)
×29才 2011年夏 狩場山敗退(ハンター同行熊出没、ようこそ先輩オンエアー10/22)
△29才 2011年8月15日 念願の夏富士初登頂成功(子供3人同行1泊2日お子様ペース登山、剣が峰へは登頂せず下山)

×29才 2011年秋 エベレスト敗退(謎のカラス谷ルート選択。撤退理由はカラスにデポしておいた装備を荒らされた為。そもそも登頂許可にも疑惑あり)

[aside type=”normal”]!!この挑戦では同行スタッフであるフリーカメラマンの木野広明が死亡!![/aside]

◎29才 2012年春 韓国プッカン山(837m)無酸素登頂成功(50人の一般人と共に)
×29才 2012年春 シシャパンマ南西壁再挑(失笑ネタ満載)とうとう言い訳を滑落にしてしまった為にその後の遠征がきつくなる
×30才 2012年秋 エベレスト4度目敗退、凍傷
○31才 2014年夏 ブロードピーク 登頂ラッシュの7/24にスペイン隊のケツについて登頂
×33才 2015年秋 エベレスト カラス谷突入 最終キャンプからアタック1時間で撤退
2度目のアタックではSPOTの軌跡は何故かローツェに登頂。BCから出たのかも疑問
×33才 2016年春 アンナプルナ南壁 取り付きまでも行かずに「膝に氷を受け」敗退。
×34才 2016年秋 証拠もないまま7400mまで登ったと自称。松田氏もモヒカンで参加
○34才 2017年1月 ホノルルマラソン完走するもアスリートにあるまじき6時間38分9秒
×35才 2017年春 エベレストで謎のルートショッピングの果てに敗退。違法越境疑惑あり。
(出典:http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/out/1526371164)

2018年5月21日
8度目のエベレスト単独登山中に体調を崩し標高7400m付近より下山。
キャンプ2付近にいた撮影隊がルートを登って捜索したところ、
低体温症によって死亡している栗城の遺体を発見した。
35歳没。
(出典:wiki)

[aside type=”warning”]!!本人が死に至ってしまう!![/aside]

栗城史多さんとイモトさんの関係ですが、過去に絶対公にしてはいけないイモトさんの登山が成功したかどうかの情報を、あやまって栗城史多さんがSNSで、テレビで放映されるより前に、世間に発信してしまったことがあるようですね。

これはかなり批判されたようで、のちにイモトさんの投稿を削除した経緯があるそうです。
その他に、特にこの2人が繋がっているような記述はありませんでした。

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登山家 栗城史多は登山家ではない?批判する声も多数

こちらは、服部文祥(サバイバル登山家、山岳雑誌「岳人」編集者)さんが登山家の栗城史多さんについて、『登山家としては3.5流 俺よりも下』と語り、話題となった動画です。

栗城氏曰く「現場を知らない人」による批判

■竹内洋岳(日本人初の8000メートル峰全14座の登頂者)
『恐らく、この栗城さん自身は「単独」とか「無酸素」とかの意味をそこまで深くは考えていなかったのかもね。
たぶん、彼の周りにいる大人がなにか「美味しい都合」で、いろいろ脚色したんじゃないかな?』

■山田淳(七大陸最高峰の元最年少登頂記録保持者)
『NHKも、おいおいちょっと待てよ、って思わなかったのかなぁ。不思議です。』

■服部文祥(サバイバル登山家、山岳雑誌「岳人」編集者)
『栗城君は全然駄目。市民ランナー的で登山家としては3.5流 俺よりも下。
登山家じゃない。登山家をかたると本当に登山を目指した人に失礼。』

■登山専門誌「山と渓谷」2012年3月号
『彼は「単独・無酸素」を強調するが、実際の登山はその言葉に値しないのではないかと思う。
一般の人たちにヒマラヤ登山を正しく理解してもらうためには、
もう少し厳密な情報発信が必要なのではないか。』

■池田常道(山岳雑誌「岩と雪」元編集長)
『マナスル登頂者のなかには、手前のコブを「認定ピーク」と呼んではばからない人物がいる。
頂上ではなく認定ピークに登ったということは、頂上手前のコブで敗退したのと同義なのだが、
そういったレベルの登山者が無酸素・単独登頂の成功者としてメディアに登場するご時勢なのだ。』

■近藤憲司(国際山岳ガイド、エベレスト7回登頂)
『勉強しないのにお金をもらって東大を受け続けているようなもんだ…』

■森山憲一(登山ライター、ブログ・森山編集所)
『判断はずっと保留してきました。ただしそろそろひとこと言いたい。さすがにひどすぎるんじゃないかと。』
『どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。』
(出典:http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/out/1526371164/)

こういったことから、無謀、「プロの下山家」揶揄までされ、「単独」「無酸素」登山にこだわっていた異端児の登山家、栗城史多さんが、一部で批判される理由ですね。

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まとめ

登山家の栗城史多さんについて、調べて見ましたが、目立っている分、批判も多くありました。確かに、他の登山家にとっては、栗城史多さんのやっていることは危なっかしくて、プロ意識にかけるものだとされても仕方がないのかもしれません。

登山のことがあまりわからない素人の自分の目でみても、
失敗をなんどもしても
チームに死者が出たとしても、
凍傷で9本の指を切断しても、
登山家として栗城史多さんが発信していく姿勢には、
賛否両論があって当たり前だと思います。

そして、35歳という若さで、自分の命も落としてしまう。。

しかし、彼にとっては人生をめいっぱい生き抜いたのかもしれません。
栗城史多さんの挑戦に、勇気をもらっている人も実際に多くいますしね。

凡人には見れない世界を見せてくれたのが、
『栗城史多さんの生き方』そのものなのだと思います。

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